唯物論の中にもいろいろあるらしく(たとえば弁証法的唯物論)、もっとも普通に考えられる唯物論が、これ、物理主義的唯物論である。消化は胃の働きであるように、精神は脳の働きである。国会という場所には政府という働きがある。同様に、脳という場所には精神という働きがある。
まあ、普通に精神機能を考えれば、そういうことになるでしょう。でも、それがわたしたちの実感とかけ離れているし、倫理の根本や宗教の根本、社会や法律の根本まで、書き換えを要求してしまうわけです。これは困ったものだと思う。何しろ、わたしたちの素朴な実感は断固拒否している。わたしは欲求するから欲求しているのであって、物質の動きの結果欲求しているのではない。
薬剤が有効だという点はどのように考えたらよいだろう。薬剤は現実に精神に影響を与えることができる。しかも治療薬であるから、精神機能を改善させる。
どこまで決定論的かということも問題になる。むろん、物理主義的唯物論では決定論がすべてで、意識の入り込む隙間はない。意識無しですべてを記述できる、それが前提であり、もし必要なら、意識という言葉を使っても説明できる、そしてそれは人間の直感とよく一致するだろうということになる。