臨床現場からみた職場の人格障害

産業ストレス研究(Job Stress Res.),11,199-204(2004)
[特別講演]
臨床現場からみた職場の人格障害
牛島定信
東京慈恵会医科大学精神医学講座
Clinical Practices of Personality Disorders at Work Place
Sadanobu USHIJIMA

Abstract At first,the author clarified what the personality disorder is like,emphasizing on its difference from the psychopathic personality.The next discussion was on the personality disorder based on the tendency likely to avoid the situation has caused psychological difficulties in childhood.The third part was on the cases which give rise to the fighting mode in the contact with realistic situation.And the case of pseudologia phantastica and narcissistic personality disorder proxy in which his families or subordinates visit the psychiatric clinic in stead of him follwed. It is also discussed a little on the borderline personality disorder which has been attracted public attention.Finally he discussed how to deal with these personality disorders.

Keywords:narcissistic personaljty disorder(自己愛性人格障害),psychopathic personality(精神病質),avoidant personality disorder(回避性人格障害),personality with fighting mode(戦闘モードを伴う人格障害),borderline personality disorder(境界性人格障害)

1.はじめに
職場絡みで発症したり職場環境が治療経過にいろい
ろな影響を及ぼすことはよく知られている。しかしな
がら,精神疾患をめぐって職場環境が今日ほど関係者
の注目を浴ぴていることはないのではないかと思う。
考えてみると30年ほど前までは,職場絡みで問題に
なる精神疾患といえば,統合失調症かアルコール依存
症ぐらいで,後者は体質の問題として片付けられてい
た。そして,それに続いて問題になってきたのがうつ
病である。筆者ら精神科医は,1980年代に中学生が校
内暴力を引き起こし,その対応に苦慮する教師たちが
続いてうつ病になり受診することが増えた経験をして
いる。その後,今日では企業においては社会情勢の急
速な変化や経済事情等によって,ひどいストレス下で,
中高年のうつ病,それに伴う自殺などが増え,企業の
精神保健の中で急速に注目を浴びるようになってい
る。ことにこの数年は年間の自殺者が3万人を超える
に至って,その対策も緊急課題となっている。今や,
精神科外来はうつ病患者で溢れて,精神科医はその対
応に忙殺されているかの感がある。
しかしながら,注意をしなければならないことは,
最近,うつ病として治療されている症例の少なくない
患者の治療経過が思わしくなく,見立ての再検討を求
められることが多くなったことである。そして,それ
らの紹介されてきた患者をよく診ていて感じるのは,
うつ病と称される病態の背後に何らかの人格障害を秘
めていて,それに対する対応がなされていないための
遷延化であることが少なくないことである。何も人格
障害の治療を改めて始める必要があるわけではない。
人格障害のために特殊化した患者の苦悩がいわゆる常
識的な理解だけでは癒されずに慢性化したり,あるい
は逆に治療関係が悪化して病態が複雑化したりといっ
た類のもので,その苦悩の特異さを理解するだけでも,
事態が変わってくるのである。
ここでうつ病を取り上げたが,何もうつ病に限った
わけではない。不安障害,心身症を含めた身体表現性
疾患でもことは同じである。
そこで,この小論では,職場絡みの病態で,人格障
害がどのように絡んでいるか,それに対する対応をど
うするかなどの概略に若于なりとも触れることで,役
割を果たしたいと思う。
2.人格障害とは
ただ,問題になる精神症状の背後にある人格障害の
様態を説明する前に解決しておかねばならないことが
あるよ引こ思う。それは人格障害という概念の定義の
問題である。精神医学では,歴史的に人格偏倚,精神
病質といった概念で人格の問題が論じられてきた経緯
があるが,現在DSM診断(米国の疾患分類)で使用
される人格障害personality disorderとは若干概念が
違うのである。しかし,精神科医でさえも従来の概念
で現在の人格障害を論じる向きも少なくなく,混乱を
きたしていることは知っておいた方がよい。新しい人
格障害とはどのような概念か。分かりやすくするため
に,ある症例を示すことにする。
ここに27歳の独身女性がいる。付き合っていた男性
とも嫌気がさして別れようかと思っているとき妊娠し
ていることが判明し,中絶手術を受けることになった。
ところが,その後も無月経が続くので産婦人科を再受
診すると,医師はだまって再手術を行って,治療費は
必要ないといって帰した。本人にしてみれば,すでに
生命を宿している子どもを抹殺した罪悪感,何の弁明
もしなかった婦人科医への怒りなどで抑うつ的になっ
ているとき,弁護士を紹介する人がいて会ってみると,
50万円がせいぜいだ,といって30万円を取ってくれ
たという。患者にしてみると,婦人科医のみならず,
的外れの対応をした弁護士に対する怒りが増すうちに
過食が始まり,勤めていた会社での仕事も身に入らな
くなり,引きこもるようになった。22歳のときである。
それでも2年後には,何とか社会復帰を果たそうと新
しい職場に就職するが,新しい彼氏ともギクシヤクし
てくるにつれ,今度は手首を切るようになり,精神科
クリニックを受診することになった。その後も機会を
みつけては就職するが,恋人や職場での人間関係に疲
れ,過量服薬をするまでに発展して,精神科病院に入
院することとなった。そこで男性患者と付き合うよう
になったところで,母親の猛反対に会い,筆者を受診
することとなった。
この症例で明らかなのは,ことが起こるまでは何と
か社会的適応をしていたが,中絶をきっかけに社会生
活の破綻をきたしていることである。ここには,精神
病質概念の中にある遺伝素質的な要因というより,ヤ
ングアダルトの発達課題である社会心理的困難を乗り
越えることに失敗し,退行を起こし,社会的要請に応
えることができずにますます退行を起こすという悪循
環をきたして閉鎖回路を形成し,パターン化している
に過ぎないのである。そこには従来の精神病質概念に
はない治療可塑性があるといえる。
3.最近の職場不適応の特徴
最近の職場不適応症例を見ていて違和感をもつの
は,職場が,あるいは仕事が自分に合わないという訴
えが多いことである。
本来は,状況に自分を合わせながら,職場との関係
を形成し,その中で苦労しながら自らの人格を成長さ
せるという過程があった。ところが最近では,○○部
門は自分に合わない,△△の仕事では感激がないと
いったことを当然のように口にする患者が増えた。そ
こまで行かなくても,自分に合わない職場に配属され
ると無気力になり,元の職場に戻すと元気になるとい
う途中下車症候群といわれる現象に留まることもあ
る。これらの患者の面接をしていくと,学生時代に得
意な領域(文学,芸術,コンピュータなど)のあった
ことが語られるようになり,多少とも現実から離れた
世界に住んでいたことが明らかになる。これらの状況
の話になると,患者は結構能弁になるが,しぱらくす
ると,これらが小学高学年から中学校にかけて,仲間
ないしは社会にじっくり溶け込んでいなかったことを
示すエピソードが隠れていることが多い。システム・
エンジニアとして有能であることを認められて係長に
抜擢され,人事管理や得意先との交渉などが主要な仕
事になると,途端に無気力になる途中下車症候群でみ
られるような人格構造,つまり得意な領域だけに留ま
ろうとする人格となっているのだ。
要するに,人格の幅広い部分を周囲の環境に溶け込
ませて,人格全体を社会化させることが出来ていない
ということである。全体的にみて,こうしたある部分
だけが肥大化して,人格の幅を狭めているヤングアダ
ルトが増えたことは確かである。就職して,多少とも
責任を持った仕事を始めたころに不適応を起こし,抑
うつ的になって精神科を受診する例の多くがこの種の
問題を持っているといってよい。一人よがりで自己愛
的であるが,その内実は,子どもの性格のまま,大人
の人格に成長しないままに社会に出ているという印象
を与えるのである。
4.トラブルメーカー型の人格障害
それとは逆に,何らかのかたちで攻撃的な言動をみ
せる例も少なくない。ひとつは,昔からあったが,他
人の失策ないしは気に食わない言動を激しく攻撃する
タイプの人格である。
ここに34歳の男性がいる。彼は,幼少時から不仲な
両親に育てられ,暴力的な父親に対抗し母親は自分が
守るという信念のもとに成長してきたという。しかし,
中学1年のとき両親は離婚。それに前後して不登校に
なった。その翌年には,母親は再婚するが,継父とこ
れまたそりが合わずに緊張関係が絶えずなつくことが
なかった。そのため,大学進学を諦めて就職すること
になったが,就職しても専門語に弱いという性格のた
めに,かなりの転職があったらしい。ところが,30歳
のときにコンビニに就職してから業績を上げて認めら
れるようになった。ただ,若い店員を激しく怒鳴る傾
向のあることが注目されている。32歳のとき,営業不
振の店を任されることになったが,それも6ヶ月で見
事に立て直した。ところが,今度は店長会議を前にし
て動悸や吐き気,さらには疲労を覚えるようになった。
そこで,精神科を受診し,社会性不安障害の診断のも
とに入院治療となった。入院してくると,予期せぬこ
とが次々を起こるようになった。「周囲の人間は無機質
な人間ばかりだ!」とうそぶき,外出しては帰院時間
を無視し,レストランに入っては異物騒動を起こし,
歯科受診しては主治医とトラブルを起こして担当医が
呼び出され,遂には担当医の交替を主張するなど,傲
慢な態度が認められている。そして,幼児レイブのゲー
ムマニアであることが判明している。
尊大,傲慢な態度の背後に小心,臆病,心配性が見
え隠れする自己愛型の人格障害の一タイプである。昔
からよくある自己愛性人格障害である。
5.戦闘モードになりやすい人格障害
職場での態度振る舞いはどちらかといえば控え目で
あるが,人間関係に傷つき激しい怒りを基盤にした反
社会的行動に出る症例も看過できない。
ここに32歳の男性がいる。26歳のとき結婚。31歳
のとき,母親が病死してから不安定となり,職場での
人間関係でも傷つくことが多くなったという。異常に
神経過敏となり,上司が何かにつけ嫌がらせをすると
感じるようになった。そのため,上司の自宅に無記名
の「今日は何事もなく過ぎてよかったですね。でも明
日はどうなることやら,アハハハハ……」といった内
容のファックスを送り続けるようになった。遂には,
それが発覚して警察沙汰となり,休職となったところ
で精神科受診となった。なお後に刑法により罰金刑を
受けている。患者は6歳のとき,わがままな母親に一
緒に死のうと首を絞められ,小学生のころは理不尽な
仕打ち(いじめ)を受けた。16歳では少林寺拳法を学
び,一流の大学を卒業して,安定度の高いサラリーマ
ンとして社会生活を送るようになった。受診した患者
は,昔を思い出すと地球を破滅させないと気がすまな
い気持ちになると述べている。時の経過とともに,そ
れなりに落ち着いてきて復職の話になると,けんか腰
となり,嘆願書を書いたり,自分で作成した診断書に
署名させたりする態度が目に付くようになった。復職
後は,配属転換を願う嘆願書作りに余念がなく,それ
が実現された後も,職場では何かと嫌がらせを受ける
といって警察を呼ぶこともある。プライドが高く,些
細な行き違いから激しい怒りを生じやすい。背後に小
心,臆病,心配性がある。これを支えていると,不安,
苦情が多いとはいえ,何とか適応している。
この症例に特徴的なのは,人間関係で馬鹿にされた
と感じて被害的になりやすいと同時に激しい怒りを
もって周囲に向かうことである。仮に戦闘モード型症
例(ある患者の言葉の引用である)としておく。
6.引きこもりから戦闘モードヘ
ここに挙げる症例は必ずしも職場の精神保健とは関
連したものではないが,職場での異常な環境下でひど
い傷つきをした後に,抑うつや身体症状を訴えて長年
引きこもっている症例に通じるので呈示することとし
た。
ここに34歳の独身男性がいる。幼いころから特有の
家訓に沿って生活を強いられた経緯がある。母親は子
育てより家業に組み込まれて十分に子どもの面倒を見
ることができなかったというが,母親も父親も子ども
の弱いところに手を届かせることができず,むしろ自
分の感情に任せた信念や考えに子どもを付き合わせて
いたところがある。小学生のころは,感情が死んだよ
うな子どもであったが,中学生になって不良気味の友
だちW君を得て,そうした仲聞との交際が増えたとい
う。その一方でいじめその他の修羅場を経験もした。
その背後に,父親のどちらかというと暴力的な体質が
美化されていたところがあることを忘れてはならな
い。そのため,空手その他の訓練に余念がなかった。
しかし,本人は本質的に暴力的体質ではないが故に,
高校に入るとその仲間とも離れ,おとなしい生徒に
なったが,大学はー家の跡取りということもあって母
親の強力な思い入れにより名の通った大学進学を強い
られ,地方都市の分校に入らされることになった。そ
こで破綻をきたして帰省するが,親の更なる大学進学
志向性に反応して家庭内暴力を起こすようになって精
神科を受診することとなった。
この患者は,受診して間もなくは,もっぱら自己を
鍛えることが自分を強くすることだと考え,一日の大
半を,身体訓練に費やし,社会との断絶を埋め合わせる
ぺくアルバイトに励むが,ちょっとした周囲との行き
違いから破綻をきたしては引きこもる特徴があった。
ところが,一人住まいをはじめてトレーニングジムに
通うようになったころから友だちを得て,元気になっ
た。そこで,得意な釣りその他で出かけることが多く
なったが,TVの買い直しの話で母親と折り合いがつ
かなかったことから,これまで頼りにしていた母親に
怒り発し,セカンドハウスヘ追放してしまった。そし
て,治療に通う以外はまったくの引きこもり状態と
なった。患者はここで社会に出るためには,うまくいっ
たトレーニングジムを再開しなければならないけれど
も,そのためにはその基盤となるマンションを得る以
外にないと確信し,下宿探しが生活の主たる目的と
なった。しかし,不動産屋の店員に襲われる恐怖心が
生じてマンション捜しもままならないうちに,パニッ
ク発作を起こすようになった。他の人たちとの触れ合
いを進める意味からも入院治療を長い間勧められてい
た患者もこのパニック発作を機会に入院を受け入れ
た。入院してきた患者は,他の患者や看護師に馬鹿に
されるのではないかという不安から異常に緊張してい
ることが気づかれている。しかし,ぼんやりとし無気
力な精神科の患者を相手の生活の中で,次第に知識の
豊かさや空手などで高い評価を受けると,強靭な身体
としたたかな精神や金のネックレスとサングラスで身
をまとうことへの憧れが表面化するようになった。非
常な傷つきやすさと誇大な自己像が明らかとなり,そ
の背後の小心,臆病も明らかとなった。そのころから,
仲間との食事会を中心にした会合やアルバイトなどと
社会的接触が始まるが,馬鹿にされる不安や自己愛的
傷つきによる激しい怒りはしばらく続いている。そし
て次第に,自分が如何に異常な世界を形成していたか
を実感するようになった。つまり,本来,自分は物静
かな人間であるにもかかわらず,成長の過程で暴力を
好む人格傾向を形成してきたことを実感するように
なった。しかしそれは,自我親和的であるだけに,一
般社会的な関係ができかかると,やはり,馬鹿にされ
たと感じて戦闘モードになりやすい傾向からなかなか
抜け出せないでいるという状態がある。10年近い歳月
の末に明らかになった精神力動である。
この症例が教えてくれるのは,両親のわがままな生
き方に弄ばれて成長する中で,両親の価値観に支配さ
れた特有の世界を形成し,現実世界との接触を阻まれ
ている人格傾向があることである。英国の対象関係論
が述べる自己愛的構造体とか,病的構造体と呼んでい
る現象である。幼児期に両親に支えられて万能体験を
持つ機会を持つことができなかっただけではなしに,
両親の持つ特有の考え方に引っ張られて現実世界とは
隔離した特有の世界観を形成しているのである。これ
ほど重症な症例はそれほど多いとは思わないが,見る
からに従順でお人よしの感じを与えながら,追い詰め
られると激しい感情ないしは行動を見せるケースは決
して少なくない。
7.空想性虚言症
空想性虚言症は古い概念で決して新しいわけではな
いが,意外と気づかれないままになっていることが多
い。アルコール依存症,精神病質,うつ病などの病名
で片付けられ,次第に生活の破綻へと進んでいくが,
これもまた特有の精神力動をもっていて,対応の仕方
に一工夫が必要となる一群の患者である。ここに,38
歳になる報道関係者と称する患者がいる。
患者の述べるところによると,父親は酒乱で家族へ
の暴力が絶えなかったという。しかし,患者自身は努
力家で小中高校とも成績優秀で通した。高校では生徒
会で活躍した。その後一流の私立大学法学部を卒業し,
これまた有名な報道関係の会社に就職した。まもなく
すると,ある有名な番組のディレクターとなって業績
を上げて,周囲の信頼を得た。結婚式は会社の幹部ま
で呼んだ盛大なものだったという。しかしながら,20
代後半にはアルコール乱用,うつ病などの病名で治療
を受けるようになり,30歳前後には結婚生活も破綻を
きたしている。筆者の病院を受診したときは,怠業と
しか言いようのない不真面目さがあった。単なるアル
コール依存症,うつ病とはいえない面があるので,家
族を呼んで話を聞くと,患者の訴えのほとんどが虚言
であることが判明した。父親のよると,子どものころ
からよくウソをつくところがあったという。それを受
けて,面接時に,空想癖はないかと聞くと,すかさず
「(今なお)地球防衛隊の隊長としてがんばっています
よ」と得意気に述ぺるのであった。
これほどにウソで固められた人生を持つ症例は決し
て多いものではないが,軽症型はままあるものである。
空想性,ウソ性は自己愛性障害の重要な指標である。
周囲が本人の言動を信用してしまうが故に,結果的に
だまされることになり,信用を失い,生活の破綻へと
至るのである。本人を破綻から救うにはこの空想性を
見破る以外にない。
8.自己愛性人格障害代理症
一般社会ないしは職場ではやり手,成功者として評
価されているが,その現実は専横,支配,怒鳴るなど
の暴力的言動を特徴とする人物がいる。これらの人間
が精神科を受診することはまずない。むしろ,その家
族が代理的に受診することがほとんどである。子ども
が不登校,境界性人格障害等で受診し,慢性の不安,
抑うつ,身体症状を持って配偶者,主に妻が受診する
のである。筆者はこれらの人物を自己愛性人格障害代
理症と呼ぶようにしている。ある学会で,やり手とし
て通っている専横な部長の部下がすべて精神科クリ
ニックに通っていたという症例の報告を聞いたことが
ある。これもまた同じく自己愛性人格障害代理症とい
わねばならない。
9.自己愛性障害例のまとめ
以上,自己愛のあり方に問題を持つ症例が示しやす
い職場の諸問題を描写した。全体的にみると,DSM診
断で言えば,回避性から自己愛性,さらには反社会性
人格障害にまで及ぶと考えてよいが,社会生活におけ
る人権が大切にされればされるほど自己愛性の問題は
顕著になってくるかにみえる。ごく常識的には,子ど
ものころから苦労,苦痛に直面させられることが少な
くなるため,自分の得意な領域では自信を持つが,自
信のない領域では腰が引けてしまう程度の自己愛的な
人格から,特有の非現実的な世界を形成して現実に触
れるとなると,身震いするような緊張状態から戦闘
モードといってよいほどに警戒的,攻撃的になって遂
には一線を交えてしまう例までさまざまである。中に
は,現実との接触を完全に避けて空想癖の中に逃げ込
んでしまう例もある。
これらの多くは,背後に独りよがりな両親像があっ
て,それに対する激しい怒りと同時に,それに相反す
る憧れという感情があるのが一般的である。その両者
を認めることができるようになると,かなりの一般的
社会生活をたどるようになる。しかし,この種の患者
に人格的変化を求めるには相当な時間と労力,さらに
は心理的技術を必要とするが,この種の患者の心理に
精通していると,扱いが違ってくるし,その結果は意
外と大きいものであることを心しておきたいものであ
る。
10.境界性人格障害をめぐって
職場の人格障害といえば,これまで挙げてきた自己
愛性の問題を秘めた人格が中心になるかと思うが,精
神医学においては境界性人格障害を挙げるのが一般的
である。それだけにこの種の人格障害に触れておき
たい。
境界性人格障害といえば,対人関係,自己像,感情
性などすべてに亙って不安定であることに加えて,見
捨てられ抑うつを防衛するために繰り出される衝動行
為(過食,手首自傷,過量服薬,家庭内暴力,乱買,
性依存など)を特徴とする。これらの症例を扱うとき
に忘れてならないことは,彼らが使用する未熟な防衛
活動である。換言すれば,悪い自己の排除と問題のす
り替えである。具体的にはどういうことかというと,
悪い自己の排除とは人迷惑な行動に出て,その迷惑に
は無頓着な態度をいう。例えば,職員会議での話し合
いで,チョットしたすれ違いから相手を激しくののし
り,職員会議そのものをしらけさせてしまう小学校教
師がいた。同僚はみんな彼女にうんざりしているが,
当の本人はケロッとしているのである。そのケロッと
しているところが悪い自分の排除である。人に迷惑を
かけた,人を不愉快にしたという観念が本人にはない。
そうした自分の部分が否認されているのである。それ
だけに,周囲の人間(家族,同僚,治療スタッフなど)
に機能麻禅をひきおこし,嫌悪感を起こさせる。さら
には,社会的な関係(例えば,職場,友だち関係,治
療関係など)で見捨てられ不安をもっては衝動行為に
走る一方で,家に帰って育て方が悪いからこうなった
と母親を激しくなじることが起こる。つまり,社会的
な人間関係の部分が本人の意識から消えて,家庭内問
題に移し替えられるのである。したがって,職場では,
むしろ調子を崩して無断欠勤をするといった問題のこ
との方か多く,一例として挙げた小学校教諭の例は稀
な気がする。
11.人格障害への対応
人格障害を持った人に対応するとき一般にどのよう
な心構えが必要か。まず挙げるべきは,人格障害とい
う概念が従来の精神病質とは異なり,大人の人格に成
長できていない状態の人たちのことだという認識であ
る。次いで,これらの人が持っているコンプレックス
を把握しておくことが大切である。自己愛的な問題を
持った人は非常にしばしば暴力的言動(自己愛的怒り)
を持ちやすいが,その背後に小心,臆病,心配性といっ
た心性のあることを承知しておき,境界性人格障害で
は,ともすれば見捨てられ不安を感じやすく,それに
基づいた衝動行為に走ることを知っておきたい。こう
した認識だけでも患者を追い込まずに済むことが少な
くない。
第三に必要なのは,自己体験を自覚させる心構えで
ある。気の置けない仲間で受容された体験をしたとき,
それを自分のものにすべく喜び合うことは重要だし,
愛情のこもった遠慮のない助言やお叱りも結構に自己
の体験となる。また悔しさの体験も大切である。ある
患者は,スチュワーデスになることを生きがいに治療
を受けてきたが,境界性障害のために果たせずにいた。
ところが,友だちの結婚式に出席したところ高校時代
に自分よりもはるかに成績の悪い友だちがスチュワー
デスになっていることを知って,死にたくなったと電
話してきた。そのとき,筆者は「悔しい」と思ったか
と聞き返すと,患者は「そりゃあ,悔しかったわよ」
と断言したのであった。そこで,「それで結構だ,悔し
いという思いは負けるものかが含まれているのだ」と
返したら,死にたい気持ちがー瞬にして消えたという。
患者が体験している自己体験を言葉にしてあげること
で成長を促すのである。
最後に,人格障害者の言動が対応する人間に逆転移
を起こしやすいことがある。あんな奴だが根はいい奴
だという見方ができること,清濁併せ持つといった態
度が必要となるのである。
12.まとめ
最近,職場での問題としてうつ病が急浮上している
が,時代はさらに進んで人格障害の問題に移った感が
ある。それに対する理解と対応が求められている。そ
のひとつは「怒り」の衝動をもちやすい自己愛性障害
の人である。これには,引きこもり型(回避型)から
トラブルメーカー的な攻撃型,さらには反社会的行動
障害型までさまざまだが,基底には小心,心配性の心
性のあることを指摘した。一方では,見捨てられ不安
を起こして衝動行為に走る境界性人格障害がいる。い
ずれも,幼児期に内的な心理的困難をもったときに両
親に手を貸してもらった経験のない人たちであり,万
能体験をしたことがない人たちである。それだけに,
そうした心の部分に注目し,働きかけることが大切で
ある。
以上は,第11回日本産業ストレス学会の特別講演の要旨であ
る。臨床経験を中心|こ述ぺたので,特に参考文献を引用すること
はしなかった。
(受付2004年5月6日,受理2004年6月11日)

\\\\\\\
以上のような成長不全としての人格障害が
核家族化、共働き、メディア漬けの育児、教育現場の不全などよってもたらされる。
人格成長すべき体験時間をメディア接触やゲームで失っているのだから、
成長しようがない。

そして不全感を感じながら社会に出て、
不適応が露呈し、多くはうつ状態を呈するのであるが、
その内実は上記論文のようなものであるという指摘である。

考えてみれば
人格成長に絶対適切なゴールなどはないのだし、
たとえば、宗教的に悟りに至った人物が現代社会で
家族をうまく養っていけるかと言えば、よく分からない面もある。

現代社会に適応することが人格の成長なのかという
根本的な反省はあるにしても、
とりあえず給料をもらうために世の中に適応してみせるくらいは
悪くないことだと思われる。

/////
逆に言えば、それぞれのうつ状態のあり方の差異から逆算して、
人格障害の種類と程度を推定できることにもなるのだろう。
容易ではないが、心にとめておいてよいことだと思う。