統合医療と健康生成論 salutogenesis

Comprehensive Medicine vol.8N0.1(2007)
統合医療と健康生成論
橋爪誠
【要旨】生活習慣や心理的社会的要因を背景とする慢性疾患に対して,生物科学的な発想に基盤をおく近代医学では期待されるような効果が得られない.このような疾病構造の大きな変化に伴い,統合医学や心身医学が誕生した.精神療法に実存の視点を加えロゴセラピーを創始したのがフランクルである.同様に統合医学(あるいは心身医学)に実存の視点を加えようとするとき,salutogenesis(健康生成論)が有効なモデルとなる.

健康生成論は「なぜ人は健康を保持することができるのか」という疑問に発し,Aaron Antonovskyによって提唱された健康モデルである.健康と疾病を互いに対立するものと捉える現代医学のpathogenesis(疾病発生論,病因論)を補完する概念である.まず,健康と疾病は本来明確に区別できない連続体を形成すると想定する.ストレッサーによって生じる生体の反応(緊張の状態)に対する処理の適否が,この連続体上におけるその人の位置づけを決定すると考える.連続体のベクトルを健康軸に向けるような因子を汎抵抗資源と呼び,個人レベルだけでなく,社会的,文化的なものまで幅広い可能性が含まれる.さらに,その時々の状況に応じて緊張の処理に適したリソースを選び出しそれを有効に活用する能力がコヒアレンス感で,それは理解可能感,処理可能感,有意義感の三要素から構成される.

このうち有意義感はフランクルの言う「意味への意志」と類似した概念である.「健康生成論」では,現実の人間存在を疾病発生的な要素とその反対方向の要素のダイナミックな関係の中で理解すべきであると考える.これによって,病気の診断,治療に新しい視点が提供される.本稿では実際の症例を通して,疾病発生論と健康生成論の観点を対比してリソースの考え方を示した.

【キーワード】健康生成論,疾病発生論,汎抵抗資源.コヒアレンス感,統合医療

はじめに一近代医学の光と影

生物科学的な発想に基盤をおく近代医学は,感染症をはじめ急性疾患の診断,治療に大きな成果をあげた.しかし,生活習慣や心理的社会的要因を背景とする慢性疾患に対しては,期待されるような効果がみられない.疾病構造の大きな変化に伴い,心身医学や統合医学が誕生した.すなわち,患者の病態を生物,心理,社会など複数の側面から評価し,全人的な治療を目指す考え方である.さらに,心身の健康が意味のある人生と表裏一体のものであることを考えると,治療を方向づける上で実存的な観点が不可欠である.精神療法に実存の視点を加えロゴセラピーを創始したのがFranklであるが,心身医学.(あるいは統合医学)に実存の視点を加えようとするとき,Aaron Antonovsky(1979)によって提唱されたsalutogenesis 1)2)が有効なモデルを提供してくれる.

1.健康生成論の誕生

Antonovsky(1923~1994)は両親(ユダヤ人)の移住先である米国で生まれ.発達心理学者の妻ヘレンとともにイスラエルヘ帰国し,そこで社会階層差と有病率,死亡率との関連など社会医学的研究を専門としていた.1971年に女性の更年期への適応に関する調査研究の一環として,第二次大戦後イスラエルに移住してきた女性を対象とし強制収容所からの生還者群と対照群を比較したところ,情緒的な健康が保たれている女性の割合は,対照群の51%に比べ生還者群では29%という結果が得られた.ここで単に両群の有意差を確認するだけではなく,強制収容所からの生還者でも29%の者が精神的に健康を保っていることに注目しその意味を考えたところにAntonovskyの独創性が現れている.すなわち,病気を起こす原因ではなく病気の発生を抑える要因,逆にいえば,健康の保持はどのような機序によるのかを考察した.こうしてsalutogenesisの概念が誕生したのである.SalutogenesisはSalus(=健康)とGenesis(=発生,生成)という言葉が組み合わされた造語で,日本語では健康生成(論)あるいは健康創生(論)と訳されている.

2.健康生成論における基本的な問いかけ

Antonovskyは健康生成論を構築する上で次のような2つの基本的な問いかけを設定した.すなわち,(1)健康と疾病はどのような関係にあるのか?(2)種々のストレッサーやリスクにさらされた環境下においても健康を成立させるための条件は何か?

(1)に対してAntonovskyは,疾病と健康は本来明確に区別できるような対立する状態ではないとし,以下に述べるような健康と疾病を両極とする連続体を想定した.また,(2)は「なぜ人は健康を保持することができるのか?」と言い換えることができ,健康生成論における最も根本的な問題提起である.Antonovskyは病気の発生を追究するpathogenesis(病因論,疾病発生論)ではこの問いに答えることはできないと考えた.すなわち,彼は近代医学を支配するpathogenesisのもつ限界として次の諸点を指摘した.

①証明可能な客観的な変化(disease)に焦点を合わせる結果,患者の主観的な面(illness)が見過されてしまう(病むことの意味が見失われる).
②特定の疾患を特定の原因と結びつけ,複数の原因作用multiple causationの考え方を排除してしまう(実際には原因と思われるものを取り除いても必ずしも病気をなくすことにはならない).
③二項対立的なモデルである(個人レベルでは患者か健常人か,臓器レベルでは病的か正常か,といった二分法的な見方しかできない).

3.病いと健康の関係

このような健康と疾病を互いに対立するものと捉える考え方に対して,salutogenesisでは両者を本来明確に区別できるような対立する状態ではないとし,健康(秩序)と病い(無秩序)を両極とする連続的なスベクトル(健康―健康破綻の連続体)を想定し,人間は常にこの連続体上を移動する動的な存在であると考える.連続体上のどこに位置するかは,その人が置かれたストレス状況との関係で決まる.

Antonovskyはストレッサーとストレス状況を厳密に区別している.ストレッサーは人間存在にとって普遍的なものであり,それを避けて生きることはできない.したがって,ストレッサーが常に病気を引き起こす,あるいはストレッサーがなければ人は健康になる,とは言えない.ストレッサーによって惹起される生体の反応は緊張の状態state of tensionと呼ばれ,それは有害(疾病発生的)な場合も有益(健康生成的)な場合もありえる.

4.汎抵抗資源(GRR)

緊張の状態を首尾よく処理すること(tension management)でストレッサーが疾病生成的に作用するのを防ぎ,その結果,健康-健康破綻の連続体上で健康軸方向に慟く因子を汎抵抗資源generalized resistance resources(GRR)と呼ぶ.GRRはさまざまな要求に対応し健康生成に資するリソースである.具体的には個人の内面にあるもの,所有しているもの(財産,知識・知恵,自我同一性,対処法,遺伝的・気質的なもの)だけでなく,対人関係(家族,友人との親密な関係,職場や医療などにおける関係)に由来するもの(社会的支援,保険医療制度),さらに宗教,伝統,習慣,芸術など社会的,文化的なものまで含めて幅広い可能性が考慮されている.

5.コヒアレンス感(SOC)

さらにAntonovskyは,さまざまなGRRの中からその時々の状況に応じて緊張の処理に適したリソースを選び出し,それを有効に活用する能力をsense of coherence(SOC,コヒアレンス感)と名づけた.SOCは健康生成論における核心をなす概念で次の三要素から構成される.
①理解可能感sense of comprehensibility:人生にはしばしば健康に関わる要求,要請が存在するが,それには秩序があり予測と説明が可能であると理解する能力(認知的要素),
②処理可能感sense of manageability:そのような要求に対応するためのリソースが手元にあり,有効な対処の手段をもって行動を起こすことが可能であるという感覚(対処的要素),
③有意義感sense of meaningfulness:その要求,要請に対処することが自らの人生にとって意義のある挑戦であり,自己を投入して関わるに値するものであるという確信(感情的要素).

このうち有意義感は継続的,動的な信頼感の程度を示し三要素の中で最も重視されている.すなわち,有意義感の高い人は,自分の運命の形成過程にも積極的に関わり,人生に不幸な経験が課せられてもその挑戦を進んで受け止め,それに意味を見出そうとし,それにうち勝つため最善を尽くす.これはFranklがいう「意昧への意志」と共通した考え方であり非常に興味深いところである.

6.近代医学のパラダイムシフト

健康生成モデルが臨床的に必要とされる背景として,Schuffel 3)は近代医学における三つのパラダイムシフトを挙げている.

第一には生活条件の改善による疾病構造の変化,受療する理由の変化がある.ことに慢性疾患が増加し,健康と疾患の境界があいまいとなり,従来の疾病理解が実際的な医療行為に役立たないものとなってきた.それに伴い医療・福祉の組織改革,医療従事者の意識改革が求められている.

第二のパラダイムシフトは,「健康とは一つの過程であり結果として存在するものを指すのではない」という考え方である.普遍的に基準とされるような(たとえばWHOが定義したような)完全な健康は現実に存在するものではない.改めて「健康とは何か」という健康そのものの基本的な概念が変更を迫られている.単に疾病が存在しないという静的なとらえ方では不十分で,健康を生涯にわたり疾病発生的な力と健康生成的な力が相互作用しあう動的な関係として理解する必要がある.

第三のパラダイムシフトは治療関係,すなわち医療者と患者の関係が大きく変化してきたことである.インフォームドコンセントの概念を持ち出すまでもなく,両者が互いに主体牲をもち,互いの自律性を尊重し実現するようなシステムが重要である.これは一方で患者の高い自律性を要求するとともに,医師の側では病気を治して症状を取り除くことだけを自らの使命であると考えていると,それは結果的に不適切な医療の実施になりかねない.

7.症例

具体的な症例を通して,pathogenesisの観点とsalutogenesisの観点を比較して示す.症
例は47歳,女性,気管支喘息である.
主訴:発作性の呼吸困難.
家族歴:母方叔父が気管支喘息.
既往歴:腎炎(治癒),耳下腺腫瘍(手術).
現病歴:34歳頃に咳嗽が出現,次第に呼吸困難を伴うようになり,36歳のときに気管支喘息の診断を受けた.39歳のときに大発作で人工呼吸器管理を受け,以後頻回に入退院を繰り返すようになった.地元の医療機関ではどこでも「手にねえない」と言われ,X年9月に筆者の心療内科外来を紹介され,車で約6時間かけて受診した.
心理社会的背景:7人同胞の第4子,長女.父親は口数が少なく仕事中心の人.実母は幼少期に死亡した.幼い頃から弟,妹の面倒をみるなど,厳しい継母に気を遣いながら育った.親に甘えたり可愛がってもらった覚えがない.23歳で結婚,夫は自分の思う通りでないと暴力をふるい,病気に対する理解がなく入院治療にも反対,非協力的だった.40歳で家出し実家に戻って離婚となった.
病態:
身体面;気管支喘息.成人発症の非アトピー型で,しばしば挿管に至る大発作を繰り返し,ステロイド剤でも十分な効果が得られない重症難治例である.
心理面;高い被暗示性を有する神経質な性格.誰に対しても「良い子」で振る舞う感情抑圧的な習慣が身につき,とくに攻撃性の過剰な抑圧が喘息発作の一因であった.
社会面;離婚後実家で支配的な母親との間に「依存と独立」の葛藤状況が顕在化した.治療関係では医療関係者に陰性感情を惹起するような受療行動(頻繁に受診,治療方針に従わない,処置の内容を自分で指示するなど)のため診療拒否される結果になった.
治療:心療内科ではX年10月から5年間に10回以上入院し,外来治療も合わせて6人の主治医が関わった.一貫して「喘息とうまくつき合うこと」を治療目標とし,具体的には薬物療法(抗喘息薬,向精神薬),呼吸法・自律訓練法の指導,支持的精神療法,森田療法的関わり(不安の受容)などが行われた.現在,患者は少量の服薬,吸入のみで予約外受診や入院を要するような発作を認めず良好に経過している.

8.症例の理解

この症例を疾病発生論的な見方pathogenic orientatonと健康生成論的な見方salutogenic orientationから比較してみたい.まず従来の疾病発生論的な視点から発病に関わるストレス要因を列挙すると以下の通りである.
①生育歴:親子関係,兄弟関係で感情表現を抑圧し過剰適応する習慣が身についた.(発病準備因子)
②結婚に伴う環境変化:夫に対して服従的な生活を強いられ心身ともに疲労が続いていた.夫の仕事の関係で寒冷地に転居して発病した.(発症因子)
③医原性要因:医者から「あなたの喘息は治らない」と宣言されて医療不信を抱いていた.(増悪因子)
④発病後の二次的反応:喘息症状がそれまでできなかった自己主張や他者への依存を獲得する手段として機能していた.(持続因子)
前項で述べた治療内容はこのうち③,④を狙ったもので,①,②の要因には直接介入していない.にもかかわらず,長年にわたり患者を苦しめてきた病状が著明に改善し再発せずに経過しているのはなぜか.

この疑問に解答の可能性を与えてくれるのが健康生成論の観点である.治療が終了した現時点で振り返って考察すると以下のようなリソース(GRR)を指摘することができる.

(1)個人レペル:患者は周囲に過剰適応する反面,学生時代から演劇の舞台に立ち,生徒会の役員を務めるなど積極性が認められた.治療場面では受診の度に車で6時間かけて来院し,X+2年には実家から離れて病院の近くに転居した.このような積極的な行動には人目を引こうとする演技的な要素も含まれているが,「誰かのための人生から自分のための人生へ」という意識転換とともに自立しようとする姿勢につながるリソースでもあった.

(2)対人関係レペル:実家(両親,兄弟の家族も同居する大家族)は葛藤の場であるとともにさまざまな支援(ソーシャルサポート)を得られる場でもあった.患者を車で病院まで送り迎えしてくれたのも、患者が得意とする手芸の店を開いて一緒に手伝ってくれたのも弟妹たちであった.また,治療関係において主治医は一貫して患者のもつ潜在的な力を確信し患者の努力に肯定的ストロークを与え続けた.これか治療的な信頼関係の確立と安心感につながり,症状安定に寄与した.医療という非日常的な環境において得られた対人関係を自らの人生を変革することに利用できたのは患者自身が本来もっていた能力(SOC)の現れと見ることができよう.

ここで注意しておきたいことは,これらのリソースが治療の初期から明らかだったわけではなく,治療関係の進展の中で次第にわかってきたことである.健康生成論の核心をなすSOCを測定し評価する方法として,海外ではコヒアレンス感調査票が広く使われているが,日本では未だ標準化された邦訳版は存在しない.またGRRを見出す具体的な方法も確立されたものはなく,個々のケースで患者の訴えに耳を傾け行動をつぶさに観察すること,すなわちナラティブアプローチが必要であると思われる.

おわりに

我々は病気をその原因(病因)との直線的な因果関係で理解することに慣れ,病因を取り除くことが治療であり,病因が適切に解決されることが治癒の前提条件になるという「病因論モデル」に依拠している.しかし実際には病因そのものが除去されなくても患者が治っていく現象がしばしば観察される.このような病因論モデルで説明がつかない健康回復の過程を科学的にアプローチする方法として健康生成論の考え方が役立つ.健康生成論では人間存在の実存的要素にも注目し病気の診断,治療に新しい可能性を提供する.日本における健康生成論の臨床応用は,心身医学領域で一部の臨床家がその試みを始めたばかりである4)が,健康生成論を従来の病因論に対立する健康概念として考えるのではなく,両者を互いに補完しあうものとする見方が重要であることを強調しておきたい.

文献
1)Antonovsky A:Health,Stress,and Coping New Perspectives on Mental and Physical Well-Being,1979
2)Antonovsky A:Unraveling the Mystery of Heahh—How People Manage Stress and Stay Well,1987
3)Schuffel W:Handbuch der Salutogenese.Ullstein,Wiesbaden,1998(橋爪誠,訳:健康生成論の理論と実際.三輪書店,東京,1994)
4)橋爪誠:サルートジェネシス(健康生成論)からみた心身症、心身医学44:641-648、

Comprehensive Medicine vol.8 N0.1(2007)
Conlprehensive medicine and salutogenesis
Makoto Hashizume
Hashizume Clinic
【Summary】Modern medicine based on the concept of biological science has its limitations in the treatment of patients with chronic diseases,which have in their background habitual or psychosocial problems.ln association with such a great change in disease structures conprehensive  medicine and psychosomatic medicine have emerged.Frankl created logotherapy by introducing the view point of existence into psychotherapy.When the view point of existence is to be introduced into comprehensive or psychosomatic medicine,the concept of salutogenesis could be a helpful tool.
Salutogesis is a model of health and illness formulated by Aaron Antonovsky.It originated in the question"Why do people stay healthy?" and supplements the idea of pathogenesis that dominates modern medicine.Health and illness are considered contradictory to each other in pathogetic view points in modern medicine,whereas Antonovsky, defining salutogenic concept,assumed a continuum with absolute health and illness at its each pole(health ease/dis-eas econtinuum).
Where one is locateed on this continuum depends on how responses of the organism to stressors (state of tension) are dealt with.Determinalts of movement toward the healthy end of the continuum are called generalized resistance resources(GRRs) that encompass a wide range  of possibilities not only in personal but social and cultural levds as well.These sense of coherence (SOC)concept describes global ability and orientation contributing to choosing and activating suitable resources for the tension management at any given time and conditions.The SOC consists of three components;comprehensibiy,manageability,and meaningfulness,among which the sense of meaningfulness is a common concept to Frankl’s "will to the meaning".The way of  thinking that human existence in the reality should be considered a dynamic interaction of pathogenic and salutogenic factors provides us with a novel viewpoint in diagnosing and treating diseases.
ln this paper the author will present a psychosomatic case,comparing panthogenic and salutogenic orientations.
【Key Words】salutogenesis,pathogenesis,generalized resistance resources,sense of coherence,comprehensive medicine