日常的な診療で必要となる支持的精神療法を学ぶ

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5月27日、勉強報告。

・論文の中では、支持的精神療法とは、実践して、経験して身についていくものと語られている。自分のスタイルを作っていくのがいいということであったが、その漠然とした感じが、初心者の精神科医やカウンセラーを困惑させてしてしまう点だと思われる。

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支持的 supportive と指示的 directive が口頭の言葉として混同される場面がある

そして恐ろしいことに混同されていても別にどっちでもいいこともあったりして
ひどい話

まあそれは冗談としても、
支持的精神療法は技法そのもの(もちろん、多少はあるとしても)を指すのではないので
心構えみたいな話になる

実際、支持的な態度や言葉の技法よりも
支持的的な基本の「治療者のあり方」が問題になる

その点では精神療法の非特異的な要素の中でも
特段の重要度がある

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支持するというのだから
どの範囲を支持するのかという問題はある

「すべてをあるがままに」もよい
あるがままも簡単なようで簡単ではない
一人の人間にもいくつかのあるがままがあり
いくつものあるがままが自分にあるのだと
知るようになると
一段高次のあるがままになる
部分と部分は矛盾したり
ある部分はあるがままではないことにもなり
しかしあるがままではいられない自分をあるがままにしておくというあるがままもある

「常識の範囲で」もよい
常識とはないかという問題があるが
悩みつつでよい

実際の臨床では
「生きていていてもいいんですか」
という質問に
「生きていていいんですよ」
と支持する
そのような支持療法もある
そしてこれが基本になるのだと思う

どのように存在していいのかという以前に
どのようであっても存在していのだと支持する

本来そのような基本的支持の感覚は
精神の基本的健康に関係していて
生育のプロセスで固められるものだが
その途中で defect があった場合には
生きていてもいいというような、基本的に支持されている感覚が欠如する場合がある

「食べ吐きを治したい」という場合に
症状を支持するのは一見おかしなことになるけれど
実は食べ吐きはいいんですよと支持しておいて
でもその一方にある、対人関係の苦しさは何とかできそうですよと
導入する方法もある

原則としては症状は支持しないが
人間存在は支持する

支持することと
治療同盟は
かなり密接に関係している

何を治したいのか
何が問題なのか
どのように治療するのか
教育と同時の支持が大切になる

時間がないとどうしても
症状と治療に話は集中するが
患者さんは生まれてから現在に至るまでの一冊のストーリーである

少なくとも心の中にどんな他人がどんな位置に住んでいるか位は
徐々に知りたいいものだ
現実の過去の人間関係でもいいし
物語上の人間へのあこがれでもいい

診断を決定することは
患者さんをそれを求めているのだけれど
患者さんはそれを怖がってもいる
その呼吸を分かってあげることも
支持的とか共感的とかの要素としては大きい

患者さんの病気の理解とか状況の理解はさまざまである
そんな中で医学的に正しい説明をして
結果がどうかを正確に予測してから
説明と相談をする必要がある

単純な例として
お年寄りの膝が痛いので
ヒアルロン酸をとりたいのだけれど
お金がないので
保険で出して欲しいというような場合

医学的に正しい結論は明白なのだけれど
患者さんは理解できないし理解したくない

支持的にして治療関係を維持したいけれど
それが果たしていいことなのか

それは大変難しい

難しいけれど
「まずよく理解したいのです」と説明して
お話をよく聞く、気持ちを引き出すことはできるのだと思う

ヒアルロン酸を安く手に入れたいということが
今必要なことなのだと
分かるのだけれど
そこを支持するか
もっと長期の患者さんの本当の利益を支持するか
そのあたりが問題になる

「よく理解したい」というメッセージは
患者さんにとってはサポーティブに受け止められるはず

それを煩わしいと思われるようだと困るのだけれど
いずれにしても「もっと理解したいんです」と言っている治療者には
何か言いたくなるだろう

そんな中で
状況が見えてくる
それが充分に見えてから
医学的判断を伝えるのでも遅くない場合も多い

精神科の薬は怖いから飲みたくないんです
という意見も同じようなもので
その理由があるのだから
治療者側がよく理解できるように伺う

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支持的精神療法は
絶対肯定法と同じではない

根っこのところで支持するのであって
枝葉のところでは
教育もする

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患者さんの短期の気持ちを支持するのか
長期の気持ちを支持するのかという問題もある

そこには微妙に治療者の価値観も混入しそうだけれど
そこのところを
カンファレンスとか研究会で症例検討しながら
軌道修正してゆく

頻繁なスタッフミーティングは必要なことで
受付も患者さんとのコンタクトがあるわけだし
カウンセラーと医師には別の側面を見せているのが普通である

それらを総合して患者像も治療戦略も形成する

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誠意だけで何とかなるほど甘くはないが
誠意がなければうまくはいかない
どれだけあればいいかということになるが
あればあるほどいい
しかしそれは現実の人間には無理なことで
常識的な妥当の線が出てくる

それを示しているのが諸先輩方である
学びあうことで
そのラインを身につけることができる

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精神科の医療は
言葉に依存する部分が多いし
理論家にはかなり哲学的な理論もあるし実践的な理論もありで
いずれにしても皆さん文章を書くのは大好きだから
文章を書いたり読んだりで
エネルギーを費やす部分がある

しかしそれは一部分でしかない
教科書はいつも部分的であるし
時代が過ぎれば間違いを含むものになる

特に近年のように
病院収容精神医学から
外来通院精神医学に変化してみると
診断も治療もずいぶんと変化がある

実地に学ぶ言い難い部分がある
精神科の医者でも表現しきれない何かは確実に大きくあるのであって
そこが客観的科学としての医学と少し様相が異なる部分である

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科学的客観的観察者としての治療者と
支持的療法者としての治療者の
一致点を見いだしていくことになる。

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一見して理解しにくい行動や感情があったとしても
その人の内面を微細に理解していくようにすれば
かなりの部分は理解できるようになることがある

そのようにして
個人の内部での原因と結果について
了解の地平を広げる努力をしたいと志すことが
支持的精神療法だと思う

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肯定するとか否定しないとかは
かなり最後の結果でしかない