「精神」の「科学」がいかにして可能であるか、測定問題と了解問題に集約して考えることができる。
客観的唯物論の世界から精神を科学するためには、「いかにして精神を測定するか」の問題が解決されなければならない。最近は心理学教室ではサイコメトリーという用語が用いられる。心理検査による精神測定の意味であるが、果たして何を測定しているのか、再考を要する。無論、すべては脳の機能であり、精神機能の一部に違いない。それはそうだが、わたしたちが知りたいのは、自由意志の問題と自意識の発生の問題である。道は遠くても、「精神測定」の方法論でブレイクスルーが必要である。
一方、現象学の世界から精神を科学するためには、「了解」概念の一層の洗練が必要である。観測主体によって了解範囲が異なるというのでは、とても科学研究とは言えない。安定した、普遍的な、了解概念の確立が必要である。その上で、了解範囲を拡大する試みが必要である。
一言しておきたいことは、了解については、科学としては未熟であるが、にもかかわらず、治療の場面では充分に相談者に利益をもたらすことである。だからこそ、わたしたちは了解概念を大切にしたいし、洗練していきたいと思う。