闇社会の守護神といわれる田中森一氏の話が出た。
検事だった人が検察を退職して後に弁護士になったとき、ヤメ検という。
彼らは反社会的勢力を取り締まっていた。
取り締まる側のからくりをよく知っている。
ヤメ検はしばしば反社会的人物や組織の弁護人となり、
検察側の意図する徹底的な結末を妨害しているように見える。
ヤメ検の人々の脇の甘さ、だまされやすさが一つの要因だといわれている。
また、人間は誘惑に負けるものだからともいわれている。
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ヤメ検に限らないのだが、
能力のある人は、人間の心のからくりや、社会の仕組みのからくりが見えてしまい、
それを逆手にとってみようかという誘惑に駆られるのではないかと思う。
それを思いとどまらせているものは
端的に言えば共同体に対する愛ではないかと思う。
やればできることをやらないでいるのは愛する故だ。
たとえば、昔、リーマンにささやかれて、儲け方の指南を受けたとする。
日本の法律は時価会計とかのことで米国の後追いをしている。あるいはさせられている。
その場合、必然的に、米国で発生したようなぎりぎりの問題行動をとれば、儲かる。
米国の関係者はみんな知っているので引っかからないが
日本ならまだこの手は使えると思って、リーマンは吹き込むわけだ。
その場合も、やめておこうと思うのは同胞に対する愛である。
制度があれば、必ず隙間があるし、裏道がある。
気がつかなければいいが、高度な専門家ほど、気がつく。
そのときにどのような行動をとるか。
その行動をガイドするのは何か。
それが問題だけれど、なかなか難しい問題である。
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長く生きてみるとやはり宗教や倫理の教えるところは正しいと思う。
世の中のためになることをしてこそ、結果として自分も生かされることになる。
目先の利益は利益だけれど、
そのことが人生を幸福にしないのだ。
むしろ不幸の元になることが多い。
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さて、世の中は新自由主義批判のまっただ中で、
それに変わる仕組みを提案しようじゃないかという。
新しいルールを作ろうという。
未熟な若者というものはいつでもそうだ。
そのようにして自分たちが新しいルールの制定者となりたいのだろう。
新しいルールができたとして、完全とは言えないだろう。
そのルールに存在する隙間や裏口はすぐに見つけられて、また新しい裏商売が発生する。
人間が生きている限りそうだろう。
時代は規制緩和の巻き戻しで、政府が適切に規制する方向だ。
ということは、規制する側に権力を持たせてしまうわけで、
権力は必然的に堕落する。汚職が起こる。
いつまでたっても人間のやることは同じである。
制度を変えるのではなく
人間そのものが変われば一つの解決である。
しかしそんなことはさらに難しい話で、どうにも雲をつかむような話だ。
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世の中には、裏のからくりを知った上で、しかし目立たずにひっそりと暮らしている人たちがたくさんいる。
その人たちのおかげで社会は一応のバランスを保っていると思う。
分かりやすい話では、物理学科の学生なら原子爆弾を作れるというような話になる。
オーム事件でも危険な物質の量産大切を目指していたのではなかったか。
それをさせないのは、広い意味での共同体からの愛であり、共同体への愛なのだと思う。