二元論の立場をとる哲学者科学者の代表はデカルトである。今さらだけれど。
中学の頃、「我思う、故に我あり」と黒板に書かれて、説明を受けて、納得していた。考えるから自分なんだと思ったものだ。もちろん、デカルトはそんなことを言ってはいない。
デカルトは「方法的懐疑」である。彼はまず、思索を出発させるに当たり、宗教や常識にとよらず、自分でもっとも確かなものと思えるものを探した。
たとえばいま目の前に見えている机は、幻覚かもしれない。信用できない。現実のすべては夢と区別が付かないだろう。従ってそこから出発するわけにはいかない。
次々に「不確か」「確実とは言えない」と判定される中で、「そのように考えて判断しているわたしが存在していることは確かなことだ」というわけで、コギトという。コギト エルゴ スム。わたしは考えている、だから、考えているわたしは存在するはずだ。
思考内容には錯誤があるかもしれないが、現在思考しているわたしの実在は否定できないというわけだ。
彼は脳内の松果体を通して心と物質は相互作用すると考えた。二元論の相互作用説の典型である。最も常識に近い。天動説と地動説で言えば、地動説である。