陽性症状 詩人であるということ

世の中の常識では何となく、詩人とは空想癖が「過剰」で、言葉を「過剰に」いじっている、そんな印象があるのではないかと思う。わたしはそうは思わない。わたしの定義する、個人的な意味での「詩人」を書きたい。

ジョン・レノンの「イマジン」で
宗教ってどうかなあ、天国は見たことないし、地獄も分かんない、
国境も人間が勝手に決めたものだし、
財産って何かな、自分のものだと思いこんでいるだけじゃないかな
などという意味のことを歌っていると思う。

この歌は、常識の「過剰」を指摘している。われわれの常識にも、「ないはずのものがある」と思いこんでいる部分がかなりある。そこを指摘している。これが詩人だと思う。

たとえば雲を見て、「あれはウサギさん」と言うのも無邪気でいい。そんな人と友達になりたいと思う。しかしある人種の人を見て、「同じ人間でしょう」とすっぱり言える人も好きだ。やはり友達になりたい。

精神病として代表的な統合失調症では「陽性症状」というものがあり、幻聴や被害妄想のことを言う。一言で言えば、「ないはずのものがある」と思ってしまう症状である。「ないはず」と決めているのは、常識であり、多数決である。
ところが常識の中には、本当は「ない」はずのものが「ある」とされていることも多い。宗教的ないろいろなこともそうだ。天国や地獄など。人間が決めた境界線。人種による勝手な判断。テレビでは、ないはずのものをあると言い張って幻想を作り出そうとしている。その他、いくらでもある。
詩人は「ない」ものはやはり「ない」とくっきり認識できる人だと思う。そして認識のレベルだけではなくそのように生きることが自然にできる人だと思う。

心理テストでロールシャッハテストというのが有名だ。インクのシミを見て、何に見えるかを言ってもらう。それを分析する。それはそれでいいけれど、まず「それって、インクのシミでしょう」と言ってしまえる人。でもその上で、世間並みに、何かそれらしいことを言える人。「ウサギが二匹見えます」など。

「ないはずのものがある」の程度で並べると
精神病(共有されない個人的な過剰)—世間人(共有された共同体的な過剰)—詩人(それって過剰ですよねと言える人)
である。