自由意志の問題も同じ。無自覚な人には、「自由意志があるのは当たり前」なのであって、疑う方がどうかしているといった感覚らしい。
しかし、物質の科学は、自由意志を否定する。これは明らかだ。
一方、わたしたちの素朴な直感は、自由意志を信じ切っている。否定する感覚が信じられない。
その場合、まず第一は、「あなたの言う、自由意志とは何ですか」という問題だ。
ここから先はなかなか話が進まない。
しかも、議論がどうであれ、日常生活には支障がないから、じきに忘れる。そんな問題である。
しかし、ドストエフスキーが、「神が存在しなければ倫理もない」と言ったのと同じように、「自由意志がなければ倫理はない」し、「自由意志を前提としなければ刑法は成立しない。」
刑法の前提は、判断力が確固としていることである。判断能力に疑いがもたれる場合、心神耗弱や心神喪失といった用語で別に規定している。
しかし科学者として、自由意志をどのように説明できるというのだろう。
たぶん、できない。思考停止しているのが実情だろう。