方法論

たとえば
事件報道のたびに
「ネット社会が人間関係を変質させ、人間の精神発達をゆがめている」
そのことと事件は関係あるだろうとか
「労働環境が精神風土を荒廃させている、そこで発生した事件であると考える」
などのコメントが踊る。

そのような面も確かにあり、
しかしまた、仔細に検討すれば、その指摘とは逆の現象も現代世界には広く見られるのでもある。

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それはいいとして、
たとえば、ネットと携帯が現代人の精神の発達と現状をどのように変化させたか、
を論じるとする。

1.まず、ネットと携帯の普及した社会はどのような特徴があるのかを描写する。それは、過去との比較の数字を並べてもいいし、散文的な描写でもいい。
2.次に現代人の精神的特徴、たとえば、引きこもり、大人になる事の遅れまたは拒否、キレやすい、一方で従順、少しは精神医学的に、自己愛性人格傾向や境界性人格障害傾向の拡大などを論じる。
3.1.と2.が同時に起こっているのだから、原因であり、結果なのだろうと推定することは、まったく間違っている。それは相関でしかない。
そこに原因と結果の因果関係の認定がなければならない。理性による論証がなければならない。科学ならば実証のための実験がなければならない。ないとしても、反証可能性の議論くらいは必要である。
4.そう考えると、社会の下部構造の変化が人間の意識という上部構造をどのように変えたかという、非常に興味深いテーマであっても、方法論的にはかなり難しいことになる。高校生の夏休みの宿題以上のものにするための方法論がないのだ。
高校生より難しい言葉を使うことはできるだろう。しかしそれは内容がないことの証拠である。
引用文献を並べて、後学者のために、分かりやすい見取り図を作っておくことは有用だろう。しかしせいぜいその程度の有用さしかない。
5.真に有用なのは、方法論の提示であって、読んで納得した人が、身近な問題について、方法論を応用して、新しい結論を導いていくようならば本物なのだ。魚の釣り方を説明しないで、釣れた魚を並べるだけのものではつまらない。
6.しかしどんな方法論があるというのか、よく分からない。
7.よく分からないから、たいていのものがエッセイになってしまう。または統計処理の例題になってしまう。理性はちっとも喜ばない。
8.少なくとも、未来を積極的に予想すれば、外れたのか当たったのかを後で検証することができる。
9.といった事をネット社会に向けて発信しているわたしであった。