小野和哉 悪性自己愛

自己愛について最近の文献を探していると
小野和哉先生のものがいくつも登場する。
悪性自己愛についての小文を採録。
このあたりのことがカーンバーグには
微細に見えていたということなのか、
やはり驚く。

臨床精神医学第30 巻第2 号
悪性自己愛
[英] malignant narcissism
「自己愛」の問題はDSM -Ⅲより人格障害の診
断項目に自己愛人格障害が組み入れられて,
用語としては目新しいものではすでになくなって
いる。実はこの障害のスベクトルの中には精神分
析の臨床における知見により, [重症型] が存在
することが知られているのだが, この点について
はDSM -IV の診断項目においても記載がなく, ま
だわが国において十分な認知がなされてはいない
と思われる。この[重症型] が今回取り上げた
「悪性自己愛」である。この概念はKernberg OF
が1984年の著作の中で明確化したもので, 自己
愛性障害の亜形である。彼の記述に沿ってその内
容を明らかにしていきたい。
まず彼はこれを慢性の自傷行為の最も重症型で
自殺傾向と連結しているものとして提示してい
る。このため自己愛性障害の中で最も予後が悪い
ものとされる。この病態水準は境界水準で機能し
ており, このため衝動コントロール, 不安耐性,
昇華経路などが全般的に失われている病態であ
る。しかし悪性自己愛患者の対象関係上の特徴は,
病的自己愛を持たないボーダーライン患者と比較
されることで明確化する。つまり悪性自己愛患者
では強烈な依存性, しがみつき行動をみせず, 他
人には無関心で巻き込まれることはないという点
である。彼らが腹立ちや抑うつといった感情を表
出するのは彼らの病的誇大性が挑戦され, 彼らが
屈辱感や敗北感といった外傷的感覚を経験すると
きにおいてなのである。
さらにKernberg は悪性の自己愛と通常タイプ
の自己愛人格との間の大きな相違点として[攻撃
性] に着目している。彼によれば「これらの患者
は自分や他者に向かって, 攻撃性を表現するとき
に自己評価が高まり自分の誇大性の確認を経験す
る。残酷な喜び, サディスティクな性倒錯は, 喜
びと体験される自傷と同じようにこの特徴の一部
である」と表現されている。彼はこうした表現で
も症例の重さを伝えきれないと考えてか, さらに
続けて「冷静に自らを傷つけ殺すこともできると
いうことを表現する彼らの感覚は, 彼らを生かし
人間的接触を維持しようとする親類やスタッフの
恐怖と絶望, そしで“祈る”ような努力とは対照
的に, 彼らの自己評価充足の求め方に劇的な歪み
があることを説明している。患者の誇大性は痛み
と死の恐怖を克服したという感覚, 無意識レベル
では死をコントロールしているという感覚によっ
て満たされている」と記述している。
実際の症例では拒食症の一部, 慢性薬物乱用者,
慢性アルコール患者などで認められるとされる。
より専門的になるが, 分析的治療におけるこうし
た症例の特徴としてKernberg は次の4 項目を上
げている。
1 ) 転移における妄想的退行(妄想的小精神病
状態を含む) 。
2 ) 治療者に対する勝ち誇りとしての慢性の自
己破壊性あるいは自殺。
3 ) 転移状況における大小の非誠実さ。
4 ) 治療者に向けた明白なサディスティクな勝
ち誇りあるいは悪性の誇大性。
これらを概説すると, 1) は患者の治療者に対
する激しい猪疑心として現れる。やがて治療者に
驚かされたり, 突然攻撃されたりするのではと立
ち上がって治療者を凝視していないといられなく
なったり, 幻聴や幻覚を生じたりする状況を指し
ている。2 ) は患者が治療者とのパワーゲームの
中にいるかのように感じることにより, 患者の誇
大性や力の幻想が引き金となり, 自己破壊性ある
いは自殺が引き起こされることを意味している。
3 ) は患者が故意に重要な情報を治療者に隠して
いるために, 治療者の転移状況の理解や患者の生
活の理解がそれにより影響されてしまうことを指
レている。4 ) は患者の行動には意識的, 自我親和
的な憤怒や治療者に対する勝利感を伴った破壊性
が含まれており, それは患者には患者自身が受け
取っているものよりはサディスティクでないもの
として経験されていることを指している。
以上Kernberg の記載に基づいて悪性自己愛の
概要を説明してみた。この病態は実際の治療場面
では患者が暴力のほのめかしなどで治療者を脅か
すなど反社会的行動を伴うことがあり, 治療構造
を維持することが困難であることが少なくない。
また治療構造を維持する治療者の努力が患者との
パワーゲームというトラップに嵌まることになる
など注意が必要である。そこで治療者が悪性自己
愛という視点より症例を観察することでこうした
状況の対応がより的確なものとなると思われる。
よって悪性自己愛は今後の臨床での取り扱いに十
分留意していかねばならない重要な概念であると
思われる。
文献
1) OF カーンバーグ著(西園昌久監訳) : 重症パー
ソナリティー障害. 岩崎学術出版, 東京, 1996
2 ) Otto Kernberg : Severe Personality Disorder . Yale
University Press , New Haven and London 1984
小野和哉(東京慈恵会医科大学精神医学講座)

ちょうど秋葉原事件のニュースが流れていたのだが、
それによると
誰も自分に注目してくれない、
大事件を起こせば注目してもらえると思った、
仙台と荒川沖の事件のことが念頭にあった、
予告していたのにネット社会から無視された、
ネット社会に復讐する
というような意味の報道だったと思う。
(記録していないので不正確かもしれない)。

自分は注目に値する人間なのに、
ネット社会から無視されていることに対して、
自己破壊(またはその変形で)戦いを挑む。

自分一人がむなしく死ぬことでは注目は集められないので、
自分の人生を殺すことと等価な行為で、しかも
マスコミが取り上げて注目される行為を実行した。
(勿論被害者にすれば等価どころではない)

1 ) 転移における妄想的退行(妄想的小精神病
状態を含む) 。
2 ) 治療者に対する勝ち誇りとしての慢性の自
己破壊性あるいは自殺。
3 ) 転移状況における大小の非誠実さ。
4 ) 治療者に向けた明白なサディスティクな勝
ち誇りあるいは悪性の誇大性。
と列挙されている項目で、
治療者の項目に沈黙したままのネット社会・彼を無視し続けるネット社会を
代入すればよいのかもしれない。

たとえば、治療者に対する転移ではなくて、
ネット社会に対しての転移と考えれば
どうなるのだろう。
ネット社会全体を擬人化して転移の対象とした。

転移という概念の不用意で不
適切な拡張だと思うが、
しかしそう考えると独り相撲の果ての自己破壊という点で説明がつく。
ただし彼は自己を破壊せず、他人を殺したのであって、根本的に異なる。

しかしネット社会を擬人化して転移の対象にして
心理的プロセスが生じていることは考えられないでもないだろうと思う。

ネットは自分に大きな関心を寄せ、注目すべきであると信じること。
ここがうぬぼれである。

具体的に親とか兄弟とか恋人とかではないところが奇妙な点である。
所詮匿名の集合体で、
しかも彼は自分のもう一個の携帯に向けて発信していたとの記事があり、
実際に誰もまったく関心を寄せなかったらしい。
殺人計画を打ち明けて準備しているのに
無視されている。

それが彼には許せない。
しかしネット社会としてはある面での成熟である。
またある面での無関係化である。
見ていたけれど無視していたのではなく、
彼の希望に反して本当に誰一人見ていなかったのだとしたら、
そしてそれ故に彼は殺人を決行したのだとしたら。

こんなことを誰か説明していないか、
まだ探している。