ドラマ「本当と嘘とテキーラ」

ドラマ「本当と嘘とテキーラ」を観た

映画やドラマでは演出の都合から、
行動や情景で語らせることが多い

内省的な言語で考えるのではなく
行動で表現してしまうのは
行動化という「未熟な思考様式」であり、
人生の途中でそこから抜け出して
内省に移行するのが望ましい。

なぜなら脳の特性は脳内でのシミュレーションであり、
直接行動ではないからである。
直接行動はショウジョウバエの方が得意である。

映画やドラマの出演者は怒ったときに
心の中で怒るのではなく、
どのくらい怒っているかをものを投げつけたり
ひどい言葉を吐いたり、
暴力をふるったり、
とにかく何か映像に変換してみせる。

そうした様式を視聴者は学習するわけで、
だんだん思考も感情も映像的になってゆく。

やたらに行動化している人は
現実生活では不適応を起こしやすいのだが
それでも社会のトレンドは行動化のようだ

ノートを用意したけれど
一ページ目に名前を書いただけで後は白紙というのも
行動化人間の特徴である

言葉で内省できるようなら
日記を書き続けて大人になるはずである

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樋口可南子の母親役もかなりの未熟な行動化が見られている
感情があふれてくると思考を停止して
行動で発散する
後でけろりとして学習しない
これは昔はヒステリーといわれた類型で社会化学習が足りないせいである
社会化訓練ができていれば発散が適切な場所と相手に対してのみ発散するようになる

社会の中でこのような類型が多くなると
こちらも防衛のために先手をとってそのような行動化をとるしかなくなる
先制攻撃の原則である

読書と記述によりしっかりと内省できる人は
多分違った適応方式をとるはずで
それが脳の本来持っている力である

様々に内面でシミュレートしてみる
その中では
相手の立場に立ってみるとか、
仮にもう少し待ってみたらとか、
様々なことを試みることができる。

しかしテレビでは圧倒的に速いテンポで次々に映像を見せられて、
ちょうどフラッシュバック体験のように経験が与えられる。
それは一種のトラウマであり、結果としては強く印象に残る。
それを感動と受け取ってしまいがちだと思う。
トラウマと感動は
少し違うと思うのだが、どうだろうか?