■ “悪循環”をキーワードに病態・治療に関する情報を伝達
―本誌において、原田先生が臨床で心理教育に用いていらっしゃる図を本誌で紹介いただきました。いずれも“悪循環”の概念を用いた説明となっています。
精神科の治療では病態や治療の説明、心理教育がとても重要な役割を果たします。今回紹介させていただいた境界性パーソナリティ障害(BPD)と強迫性障害についての図は、日ごろ私が臨床の場で実際に用いているものです。
疾患にはそれぞれ独自の悪循環があり、そこから抜け出すためのポイントがあります。その悪循環と抜け出すポイントをわかりやすく図にして説明すると、いろいろな効用を期待できると思います。患者さんやご家族が疾患や治療を理解するきっかけになるでしょうし、治療関係作りにも役立つことが多いものです。
―では、境界性パーソナリティ障害の図を作成された背景についてお聞かせいただけますか。
神田橋條治先生はずいぶん前に、「境界性パーソナリティ障害の治療は難しいといわれるが、患者と治療者のあいだで、病態・治療に関する共通の認識がない相互不理解のまま治療が続くことで、治療がいっそう困難になっている面がある」と指摘されています。
最近は、境界性パーソナリティ障害に関する患者さん・ご家族向けの入門書も出てきています。しかし、わたしたち治療者が、診療の場で患者さん・ご家族に病態・治療に関する情報を伝達するための方法論は、まだ十分備わっていないのではないかと思っています。そこで、患者さんや家族が見てわかりやすく治療者も説明しやすい方法がないものかと、試行錯誤しながら作ったのがこの境界性パーソナリティ障害の図です。
境界性パーソナリティ障害の心理教育 原田誠一(原田メンタルクリニック 院長) |
境界性パーソナリティ障害(BPD)の心理教育において、「境界性パーソナリティ障害の悪循環」(図)を示しながら、次のように説明している。
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―「強迫性障害の心理教育」の図についてはいかがでしょうか。本図の特徴を含めてお聞かせください。
欧米の臨床心理学で提案されている認知行動モデルをベースにまとめたのが、この強迫性障害の“悪循環の図”です。日本では行動理論に基づく強迫性障害の“悪循環”が示されることはありますが、認知行動理論に基づく“悪循環の図”はあまり紹介されてきませんでした。
認知行動理論に基づく“悪循環の図”には「侵入思考」と「過大評価」という二つの術語が入っています。ここが大きな違いだと思います。
「侵入思考」というのは、ある事態に遭遇した際に誰でも抱きうる一過性の心配を言います。たとえば、外出してから「確かに鍵を閉めた、ガスの元栓を閉めたと思うけれど、どうだったかな?」と心配になるとか、公衆トイレを使う際に「ここを使って、汚れはしないかな?」と感じたりすることは、誰でも思い当たるところがあるでしょう。普通はこの種の心配にとらわれず受け流すことができますが、強迫性障害の患者さんは「侵入思考」を「過大評価」しがちです。「過大評価」によって強い不安が生じて、それを和らげるために強迫行為をしますが、それが病態を悪くします。強迫行為をしないと安心できなくなりますし、強迫行為をすることで「過大評価」がいっそう強まってしまうからです。
実際にこの図を臨床の場で使用してみますと、「侵入思考」と「過大評価」という二つの術語が入ることで心理教育が行いやすくなると感じています。
強迫性障害の心理教育 原田誠一(原田メンタルクリニック 院長) |
強迫性障害(OCD)の診療において、「強迫性障害の悪循環」(図)を示しながら、次のように心理教育を行っている。
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■ 図を用いた説明は、効果的な心理教育・疾患教育のツール
―臨床で実際に用いられて、「強迫性障害の図」の意義、効果として感じられることはどのようなことでしょうか。
そうですね。意義というと少々大袈裟かもしれませんが、二つの効果があると感じています。ひとつは、強迫症状と侵入思考の連続性を伝えられる点です。強迫性障害の患者さんが体験する強迫観念は、正常体験に属する侵入思考との連続性があると理解してもらうことでノーマライジングができます。
もう一つは、治療の方向性を示せることです。患者さんは強迫観念や侵入思考をたいへん怖がって恐れており、全く出てこないように根絶したい、押さえつけたいと躍起になってしまい、悪循環に陥りがちです。図を通して、治療目標は「強迫観念や侵入思考を抑えつけること」ではなく、「侵入思考が出てきても、慌てずに受け流すようになれること」と説明します。こうした説明を通して、患者さんが治療の方向性を理解できます。
ですから、この図は「ノーマライング」と「治療の方向性」を説明するのに役立つツールであると感じています。
―「境界性パーソナリティ障害の心理教育」の図については、いかがでしょうか。
境界性パーソナリティ障害の患者さんは、「自己評価が低い」「自分の資質を活かせる生活の場が少ない」「一緒に楽しんだり、くつろいだりする仲間が少ない」といった課題を抱えて、慢性的な空しさを抱えながら生活しておられることが多いものです。そして「人間関係での行き違い、トラブル」がある際に、折り合いをつけるのが難しくなり、行動化を起こして、さらなる悪循環に陥りがちです。
患者さんの苦労や自助努力を踏まえつつ、“悪循環の図”を用いて説明して、「このような悪循環に陥っておられる面はないでしょうか?」と尋ねてみます。多くの患者さん、ご家族はこの図を理解してくれ、病態・治療に関する認識を深めるきっかけとなります。
―“悪循環”で考えるという点では、身体疾患とも共通しているように思います。
その通りです。悪循環に陥ってしまい、元来当事者に備わっている回復力が発揮されにくくなり、出口が見えにくくなるというのは、身体疾患と精神疾患に共通していますね。
じつは、試行錯誤しながらこれらの図を作った背景には、わたし自身の内科での研修体験があります。今後ますます高齢の患者さんが増えることもあり身体診療の経験を積んだほうがいいだろうと考えて、医者になって7年経ったときに東京下町の基幹病院の内科で2年ほど研修を受けました。
当時、すでに内科ではインフォームドコンセントの流れが進んでいました。そのこともあり、疾患教育における情報の量と質を内科と精神科で比べると、残念ながら明らかに内科のほうが優っていると感じました。そして、今後精神科でも疾患教育をいままで以上にしっかり行っていく必要があると思いました。
その際、精神科独自の工夫を要する点があるなあ、と改めて思いました。内科の医師は、患者さんに客観的なデータを示しながら説明することができます。たとえば、血液検査のデータ、心電図、レントゲン、胃の内視鏡像や病理所見、肺活量などを示して説明すると、疾患教育の説得力が格段に増します。残念ながら、現状ではほとんどの精神障害は客観的なデータがないなか、疾患教育を進めなくてはなりません。客観的なデータが乏しいなかで、いかにして精神障害の疾患教育、心理教育を進めるかが、私にとっての大事なテーマの一つになりました。
■ 病態・治療の全体像の説明を通して治療の質向上へ
―今後、患者さんや家族に対する心理教育で重要だと考えられていることをお聞かせいただけますか。
何事であっても、ある活動を始める際には、まずはオリエンテーションがありますね。オリエンテーションで、これから始まる事柄の全体像を理解する機会をもつのが普通ですし、大事なことでしょう。そして、それは精神科の治療でも同じだと思います。治療を始めるにあたり、病態の全体像・アウトラインや治療の内容を患者さんや家族に伝えることがとても大切だと思います。治療を始めるときに適切なオリエンテーションがあるかないかで、その後の経過が大きく変わってくる場合が少なくないと感じています。もちろん、こうした図を用いて行う心理教育は治療の入り口にすぎませんが、治療のはじめにこうした作業を行うことの意味は非常に大きいと思うのです。
これまでに、境界性パーソナリティ障害や強迫性障害の他にも、統合失調症などで同じような疾患教育を試作してきました。これからも多くの精神障害で同様の方法論を作っていきたいと思っています。
またこうした説明の方法論は、医師だけでなく、看護師、臨床心理士、作業療法士などコメディカルスタッフも使えると思います。多くの職種の方に利用していただくことによって、精神科の治療の質の向上につながりはしないかと期待しています。
―本日は、ありがとうございました