「不都合な」考えを訂正していいものかどうか

自分にとって不都合な考えが浮かんでしまう場合はいろいろあって

中核信念
自動思考
自生思考
強迫思考
妄想
フラッシュバック
などがあげられる

自動思考が関係して
「認知の歪み」が生じると説明される

しかし
妄想か否かのように
歪んでいるかどうかについて
客観的にテストができるものでもない

妄想を抱いている患者さんは
自分の考えに対しての客観的な判定など他人ができるはずがないと思う

迫害する人たちに否定されてしまうからくりが見えると言う

それでもまあまあ、事実関係の認定はできる場合もあるわけで
妄想については比較的対処はしやすい
微妙な場合はかなりあるとしても

ーー
認知が歪んでいるかどうかを
誰かが判定できるものでもない

患者の主観と
治療者の主観が二つあるだけだ

ーー
問題を整理する軸として
不適応な思考という軸がまず考えられる

患者さん自身が不適応と感じていて
治療者も不適応と思うものなら
訂正していけばいい

「不適応」という言葉で
うっかり判断していると
自己啓発セミナーの洗脳のようになる

原則として患者さんが不適応な思考や感情だと感じているから
治療が始まる
治療が始まったということは治療者も不適応な思考・感情だと考えたからだろう

しかし危うさは残る

適応とは何かとか
そのような問題に直結する

ーー
別の可能性として
不自由な思考という軸
で考えられないかと思う

不自由という軸は
複数の可能性をいつでも検討するということで
不適応の軸よりはやや危うさは減少するかもしれない

別の可能性を検討する自由があるかどうかを
チェックすることはいつでもできそうだ

思考や感情の自由度が狭められているなら
拡大した方が適応的かもしれないとは言えると思う

いい考えなら、それだけでいいではないかと言うかもしれないが
いい考えというものが
何かと考えると
そこで立ち止まった方がいい

いろいろと考えられる、そのことを確認した上で、
その中からどれを選ぶかと考えられればいいのではないか

まあ、それでも、危ういわけだが